Communication Arts blog -武術で創造的に生きる-

武術を用いて創造的に生きる。豊かな未来の自己とコミュニケーションを図るには?CAの活動を綴っていきます。

「生き残る(survive)」という事を考えてみる。

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皆さんこんにちは!C.A(コミュニケーションアーツ)ブログです。

 

さて、昨日の1月24日(日)に大阪府鶴見区民センターにて、CAの第1回講座並びに、「自分と出会うコミュニケーション心理学」の体験講座が開催されました。

 

少し不安を抱えつつも動き出したCA。参加者の方は楽しんでくれていたと思います。

 

開催の様子や、CAの活動については下記をご覧下さい↓↓

 

 

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さて、第一回を振り返りながら今後もより良い内容を提供できるように…と考えた時に今日のテーマ「生き残る(survive)」が出てきた訳です。
当会は、武術・格闘技のエッセンスを用いたワークを提供しているため、格技・武術の目的や趣旨というのは改めて抑える必要があります。
 
 
その中の一つに「生き残る(survive)」というテーマがあります。
一人の相手に勝って、次の相手に殺されてしまうようでは技術としての意味がありません。
どのような窮地に陥っても(またはその窮地に陥らず)生還するという事が大きな目的として存在します。護身を主眼としている事からも、これは大前提です。
 
 
では、現代における「生き残る(survive)」と何なのでしょうか?
 
巷で聞く、「イジメられない強さを!」とか、「もし街で暴漢に襲われたときのために護身術を!」というフレーズがありますよね。
(単純に「強くなりたい人!」というメッセージもありますが。)
 
 
しかし、この法治国家で平和な現代において、純粋な闘争技術や危害を加える護身術というのはどこまで意味があるのでしょうか?
 
 
暴力に暴力で立ち向かえば、更なる暴力が降りかかります。
暴漢に襲われて、相手に障害を残すような危害を加えてしまい、裁判になったらどうするのか。
 
 
かなり昔ですが、繁華街で女性が酔った男性に絡まれていると勘違いした通りすがりの男性(武道経験者)が、男を蹴って殺してしまうというニュースがありました。
結局、女性と酔った男子は知人であり、酔った男性を介抱していたそうです。
 
 
こうした事件を鑑みた時に、『自らを護るために始めたものが自らを滅ぼす』という悲しい逆転現象が起きてしまいます。
本人は至って真面目に修行していたのに…です。
 
 
では、武道や格闘技という概念・存在が悪いのでしょうか?
決してそんな事はなく、どういった意識でそれらを学んでいるかという事を改めて認識し直す必要があると思うのです。
 
 
時代は移り変わり、闘争という分野も実践から情報戦へ移り変わっています。
つまり、『武から何を学ぶのか』という修行者の意識自体を移行する必要があります。
 
 
それらを意識した時に、重要なキーワードが『生殺与奪権』です。
これは、今年初めに「魂導蜜法修法会 主宰 横田和典師』が仰っていた言葉です。
 
 
武の目的は、自分以外の存在にその権利を渡さないこと。
その権利は自らが握ること。
自分以外の存在とは、人・空間・社会・国・時代…全てに渡ること。
 
 
その言葉が、今強く思い出されます。
コロナウイルスの影響もあり、社会は大きく変革の時期に来ています。
国による補償を求める声も多くあり、国民にとって大変な時代と言えるかもしれません。
 
 
ですが、こんな時代だからこそ社会や国に生殺与奪権を握られるのではなく、自らが主体となって生きていく必要があります。
 
 
その疑似体験として、武道というツールは存在すると定義すれば、現代においてこれらを学び修行するという事は大きな意味があると思えてくるのです。
 
 
…と、熱くなって書いてしまいました。
 
コミュニケーションアーツでは、そういった着眼点を持ちながらワークを行い、主体的(創造的)に生きるための素地を養っていただく事を目的としています。
当会の一員として、その境地を目指し精進したいと思います。
 
今日はここまで。