コロナウイルスの影響を受けて、色々見つめ直してみた。
皆さんこんにちは!MANAです。
毎日、より良い物を創造していく!をモットーに活動しています(^^
今日のテーマは「コロナ云々」です。
既に世の中で騒がれまくっていますし、今更「コロナによってどうなる~云々」の話は書くつもりはありません。
どんな影響を受けてどうなるかは、その人自身の情報の取捨選択と受け止め方だと思っていますので。
つい先日、志村けんさんがコロナウイルスのよる肺炎によって、亡くなられました。
今までどこか他人事に捉えていた人たちが、有名人の逝去によりコロナの脅威を再認識したというような風潮が漂っています。
その翌日では、ツイッターに「#事の重大さ」というキーワードがトレンド入りしていましたね。
先日の不思議の会でも横田先生がお話していましたが、【不安と恐怖】という壁がどんどん表面まで上がってきている状態です。
それに振り回されてしまうのか、その裏側に働いている物を見るのか。
先生の仰る通り、在り方が問われている時代の転換期が来ているのだと強く思います。
さてさて、そんな世相の中で読んでいる本「人間の頂」。
以前の記事でも紹介しましたが、野口法蔵氏の著書です。
前回はまだ途中だったので、ずっと読み進めていました。
その中で【死生観】について書かれている部分が面白く、惹かれました。
内容は、国によって根付いた死生観が違う(社会的集合的無意識)ため【死】に対しての対応が違うという内容です。
日本は死者を慈しみ、悲しみながら送り出す。
インドは死者を慈しむけども、笑いながら送り出す。
どちらが良い、悪いという話ではなく(土壌文化があるので)それを踏まえた上でどう在るのかという内容です。
丁度、志村けんさんの訃報を聞いたタイミングで読んでいたので色々と私も考える事がありました。
世の中の人も、【コロナによる死】を強く意識した事によって意識の変化があったと思うんですよね。
何て怖い病気なんだ、外出禁止、他人との接触を避ける、食料の買いだめ、経済の悪化、日本の崩壊…
特にSNS上では、ネガティブなワードが一気に増えたように感じます。
死を意識して、より強く生を意識して執着する。
こんな状態の変化が増えつつあるんじゃないのかなと思っています。
かくいう私はどうかと言いますと、以前と全く変わりありません。
何故かというと横田先生から次のようなお話を聞いているからかなと思います。
死・寿命は決まっている事。
それまでの時間をどれだけ楽しめるかという事。
老衰で死のうが、病気で死のうがそれがその人の寿命である事。
そのような思想が根っこにあるからか、【コロナで死んだらそれはそれで寿命だな】という感覚が自分にあります。
なので、そのために毎日を【今までどおり楽しみながら】過ごしています。
(※もちろん、不必要に感染源に飛び込んでいくような真似はしませんが。)
この世界に現れた「新型ウイルスの蔓延」から発生した様々なテーマによって、少なからず「死」というテーマを意識させられたと思います。
あなたはどう生きるのか。
どう在るのか。
それはこれからコロナが収束した後に訪れる激動の世の中(大恐慌とか)に対しての免疫をつけるために訪れたイベントかもしれません。
在り方が確かになった人は、創造的に生きていくでしょうし。
振り回されてしまった人は、大変かもしれません。
ウイルスには悪意なんてありません。
どう受け止めて、生命として適応するかは私達自身の意識一つだと思います。
今日はここまで。
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